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 ディテール



写真は、結局は切り取る作業。それは、どのレンズを使うにしても言えること。「あれを入れて、これを入れて」と欲張らず、どんどん切り捨てる。なかなかむずかしいが、これをやらないと、いつまでたっても上達しない。
さらに部分的に切り取るといい。いわば、いいとこ取り(撮り)。「ディテール」というやつだ。標準や望遠レンズに付け換えて、ファインダーを覗いて見よう。今まで見えなかったものが、ひょっとしたら見えるかもしれない。


住宅写真の場合、雑誌などで使うのは、たいていが組写真。外観、玄関、居間、食堂、寝室などが並ぶ。そのほとんどは、広角レンズで広く撮ったもの。縦、横、斜、正面と変化をつけたとしても、やはり、ある意味変化に乏しい。人物を入れるのも一案。夜景もいい。見上げまたは俯瞰のカットもいい。それから、ディテールもいい。とにかく変化をつけること。そうすれば、リズミカルなレイアウトができる。

用途からいうと、ディテール写真は「イメージ写真」。ホームページや印刷物では、不可欠だ。必要なカットを撮り終えたら、このディテール写真に挑戦しよう。
12.3.09


 ウスタビガの繭



松本市で打ち合わせ。昼前に終わったので、R19でゆっくり帰ることにした。途中、あがたの森公園でトイレタイム。子供の声の方を見ると、雪遊びの真っ最中。近くの園児だろうか。子供の遊ぶ姿は、いつ見てもいいね。



上の写真は、生坂村山清路(さんせいじ)付近。山間を犀川がゆっくり流れている。いつ見ても、きれいなところだ。黄緑色の丸いものは、ウスタビガの繭。色が色なんで、目を引く。繭の中では、トップクラスの美しさだろう。残念ながら、この繭からは糸は取れないらしい。羽化は、11月ごろ。遅いねえ。羽化したメスはその場ですぐ交尾・産卵というケースが多いらしい。なんとせわしないことか。
道路脇にダンコウバイを発見。花芽のついた枝を折り、家に持ち帰った。1週間もしないうちに咲くのでは。


 ↑ダンコウバイの花芽
 ←ウスタビガの繭

12.3.01


 絵の力

先日の「日曜美術館」(NHK)は、「記憶に辿りつく絵画〜亡き人を描く画家〜」の再放送。女房がいつも見ている番組だ。たまたま朝食と重なったので、おれもゆっくり見ることができた。「日曜美術館」としてはかなり異色だったが、見応えがあったねえ。反響が多くて、再放送したのだろう。見た方も、多いと思う。「日曜美術館」を見て日本中が泣いたなんて、前代未聞なのでは。

不慮の事故で死んだ愛娘を絵で蘇らせてほしい。この依頼をした夫婦と依頼された画家の半年間を丹念に取材したもの。いわばドキュメンタリー。画家の名前は、諏訪敦。

絵里子(30才)さんが死んだのは、結納の10日後のこと。それゆえ、両親の悲しみは深い。壁に飾られたたくさんの娘の写真を見て、夫婦は涙ぐむ。「まだ死んだとは思っていない」という父親のことば。まだ心の整理ができていないのだろう。
諏訪はこの夫婦と真っ正面に向き合い、亡き絵里子さんをどのように描くかを模索する。まず初めにしたことは、両親のスケッチ。絵里子さんにつながるなにかを感じ取ろうとしたのだ。描く対象の内面・本質に迫ろうとする姿勢、すごいねえ。

両親の肖像画に対する期待と思い入れは、なみなみならぬもの。果たして、気に入ってもらえるだろうか。それまでは、まあ淡々とテレビを見ていたおれも、ラスト近くの絵の納品のシーンでは身を乗り出してしまった(汗)。ケースから絵を取り出し、壁にその絵をかけると、両親は「絵里子だ。絵里子、絵里子」「絵里子だよ、絵里子。絵里子がいる」と泣き始めた。見ているおれまでジーンとなった。

写真では逆立ちしても伝えきれないものが、その絵にはあった。「絵画の力をまざまざと見せつけてくれた」というよりは、ありきたりの表現だが、「いい絵には、やはり魂が宿っている」ということかな。

26日(日)の夜、再放送がある。未見の方、必見ですよ
12.2.22


 「街の灯」(1931)



ご存知、チャップリンの名作「街の灯」(1931)。
目の手術代を苦労して稼いだのが、浮浪者のチャップリン。目の見えるようになった娘は、お金持ち風のハンサムな紳士が店に来るたびに、「もしや、あの方では」と心をときめかす。そんなある日、街の悪ガキにいたずらされる浮浪者(チャップリン)を見る。で、一輪の花とコインを恵んでやろうとするんだね。でも、チャップリンはその場から離れようとする。娘はそんなチャップリンの手を取って、コインを握らせる。その瞬間。手の感触から、目の前の浮浪者が「あの恩人」だと気づく。
 You?
 You can see now?
 Yes, I can see now.
まあ無声映画なんで、簡潔な文章だ。中学1年生でも読めるね。

昔、学校の先生がこんな話をしてくれた。ひとを見かけだけで判断してはいけない。問題は中身だ。ひとが言ったことをすぐ信じてはいけない。なにがきれいで、なにが大切で、なにが本物かを見極める目と耳を持たなければいけない。
そして、この「街の灯」のラストの話も。
花売りの娘は、「自分の恩人は、お金持ちの紳士」と信じていた。目の前の貧しい身なりのチャップリンなど、まるで別世界のひと。でも、違ったね‥。先生は、こう思うんだ。この3行の会話は、文字にしなくても見ればだれにもわかること。わざわざテロップで流したということは、そこに深い意味があるからだと思う。このラストの言葉には、「お金の有無や身なりでひとを判断してはいけない。物事の表面だけを見てはいけない」というわたしたちへのメーセージが込められているんじゃないかな。そして、「You can see now?つまり、そういう目を持っていますか」と、わたしたちに問いかけているんじゃないかな。わかるかなあ‥。君たちもいつの日か、Yes, I can see now.と言ってもらいたい。
こじつけがましく聞こえなくもないが、この話に純真な林少年は感心したね。といっても、そのときは「街の灯」をまだ見ていなかったから、先生の話の半分も理解できなかったが‥(汗)。

12.2.15


 マイ・ファニー・ヴァレンタイン



「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、大好きな曲のひとつ。ちょっと寂しげな曲だが、歌詞は愛情たっぷり。「あれはだめ。これはこうしなさい。何回言ったらわかるの」と文句を言う女房に聞かしてやりたい(涙)。
クリス・ボッティのトランペット、艶やかでいいでしょ。なんか、ウィスキーが飲みたくなるよね。客席の女性は、もちろんスティングの奥さん。クリスと奥さんが軽くキスしているところにスティングが登場。で、クリスを睨みつける。スティングは切々と歌いながらも、仕返しにクリスをからかうという演出。おもしろいねえ。

「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、ジャズのスタンダード。昔から、それこそいろんなひとが演奏し、歌っている。が、ベストはチェット・ベイカーの「Chet Baker Sings」の収録曲じゃないかな。彼はジャズトランペット奏者だが、ボーカルもなかなかのもの。1954年録音の「Chet Baker Sings」は、今も人気だ。58年前の録音だが、少しも色褪せてないね。
この曲が嫌いだというひとがいたら、前に出なさい!お仕置きだな(笑)。
12.2.10


 ジョニー・B・グッド

雨降りで、今日はなんとなく意気消沈。
こういうときは、元気のでる曲を大音響でガンガン聴くに限る。たとえば、チャック・ベリーのJohnny B. Goode(ずいぶん年取ったチャックだが)。いつ聴いてもいいね。ノリノリだ。
思い出すのが、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。マーティ・マックフライが1955年に戻ってステージで演奏するのが、この曲なんだね。映画のハイライトだ。バックの黒人のグループのひとりが、「チャック、チャック、この曲を聞け」と電話をするシーンがある。画面をよく見ていると、チャックがチャック・ベリーだということがわかる。心憎いねえ。

「Johnny B. Goode」は1958年だが、エルビス・プレスリーの「Jailhouse Rock」は前年の1957年。この頃は、いい時代だねえ。YouTubeの「Jailhouse Rock」を見て連想するのがSix String Samuraiという不思議な映画。1957年、世界を支配していたキング(エルビス)が死ぬんだね。「次のキングは」というストーリー。訳のわからないB級映画だが、印象に残っている。どちらかというと、嫌いじゃないね。

それから、ミュージカル映画Grease。若きジョン・トラボルタがいいね。それから、相方のオリビア・ニュートンジョンがセクシー。青春映画の決定版だろうか。
何年後か知らないが、こんな映像もある。なかなかいいねえ。とっても楽しくて楽しくて、涙が出てしまう(汗)。
12.2.6


 ニコンの新機種

仕事でメインに使っているのは、ニコンD700(1210万画素)。サブとしてD7000(1620万画素)も持って行くが、使うことはほとんどない。このD700は、D2Xの次に買った(2008年)もの。キャッシュバックキャンペーンなどもあり、約20万円でゲット。故障もせずに、今も活躍中。
それにしても、価格があまり下がらないねえ。製造中止で、今売っているのは在庫処分ということなのに。

先月は、フラグシップ機D4の発表があった。来週はD800の発表があり、さらにD400も年内に登場するとか。今年は、新機種ラッシュだね。ほしいのは山々だが、先立つものがねえ‥(汗)。

わかりにくいのが、ニコンのネーミング。とりあえずは、フラグシップ機が一桁。もうひとつのFX機が三桁。で、DX機が四桁なのかな。でも、ちょっと前までメチャクチャだったよね。二桁は、ネタ切れか!?やはり名前は、わかりやすいほうがいい。つまり、どういうランクで、なんの後継機なのかがわかるネーミングだ。混乱するからね。
D700の次がD800。その次がD900かな。なら、D400はどういう位置付けなんだろう。廉価版のFX機なのかな。よくわからないね。Dは、デジタルの頭文字。今となっては、Dを冠する意味も薄いのでは。そのうち、たとえばニコンS2(昔、あったね)とかY1なんていう名前になるかも。まっ、どうでもいいことだけどさ(笑)。
12.2.3


 繰り返しの序章

    虚栄、私の最も好む罪だ。ミルトン

GyaO!を覗いたら、「ディアボロス/悪魔の扉」があった。いいね。主演は、キアヌ・リーヴスとアル・パチーノ。女もいいぞ。釘付けのシーンがいくつもある(汗)。
途中でイヤになる方もいるかも知れないが、最後までご覧あれ。エンディングで流れるローリーリング・ストーンズの「Paint It,Black」も、ぴったりだ。ラストはハッピーエンドではなく、繰り返しの序章といったところ。やはり、人は同じ過ちを何度も繰り返すんだね。

まあ、人というのはそういうものだ。変わろうと思っても、なかなか変われない。回りも見ても、自分を見てもそう思う。もちろん、改心する人も悔い改める人もいるだろうが‥。おれはだめだね。同じところでつまずく。そのつまずいた石をどかせばいいのだが、それができない。自分で言うのもなんだけど、バカだねえ。

テレビのニュースなんかで修行者が滝に打たれる映像が出ると、女房は必ずこう言う。「林さんも、打たれたら。まともになるかも」とね。それから座禅を組んでいる映像を見ても、「林さんも、やって来な。きれいな心になるかも」なんてね。女房は、おれに偏見があるらしい。「もう何十年も一緒にいるんです。林さんのことはなんでも知っています」というのが口癖で、おれのことを「怠け者で、自分勝手で、女好きで、だらしない」と決めつけている(汗)。
女房は、おれが滝に打たれる人間や座禅を組む人間と対極にあると思っている。でもだ。反論すると、半分は間違っている。そういう人は迷いや煩悩があるから、滝に打たれ座禅を組むんだと思うだんよね。もちろん、そんな反論はしないが。

さて、「ディアボロス/悪魔の扉」と似ていなくもないのが、「ジェイコブズ・ラダー」。主演は、ティム・ロビンソン。いろいろな不可解な出来事が収斂し、結末を迎える。なかなかの作品。ラストは、ちょっと救われるね。それから、「エンゼル・ハート」もいいぞ。若き日のミッキー・ロークがカッコイイ。
ここで思い出したのが、アンブローズ・ビアスのアウル・クリーク橋の出来事という短編。高校のときに読んで、衝撃を受けた。予想もしないラスト。すごいねえ。
12.1.30


 小欲知足

もう何年も前の話。ある住職のありがた〜い話を聞いた。といっても、仕事でその場にいたのだが。だいたいにおいてだ。おれは、この手の話は大嫌い(汗)。別に線香臭いからではない。内容に関係なく、講演会とか説明会といったものが大の苦手。おれって、人の話を聞くのが苦痛なんだね(汗)。
さてその住職、いろいろな話をしたが、最後に「少欲知足」の生活をすすめていた。「欲を少なくして足るべきを知る」という仏教における幸福論だ。

四コマ漫画「自虐の詩」の幸江。子供の頃からの貧乏暮らし。その幸江、米びつにお米がたくさん入っているのを見て、とても幸せそうだった。なんとなくだけど、わかるような気がするよね。ささやかな幸せ。これも、少欲知足と言えるのかな。
さてさてその「少欲知足」の住職、話が終わると、ピカピカの黒のBMWで帰って行った(笑)。「なんだかなあ」という感じ。人のことはどうこう言えないけどさ。

こんな昔話がある。ある武士が、農夫に人生で大切なものを説き聞かせるんだね。
武士「大切なのは、なんといっても堪忍の二文字だ」
   それを聞いた農夫、「かんにん」と指折り数え、
農夫「あのう、かんにんは四文字だぞ。どうして二文字なのか」
武士「わからん奴だなあ。堪忍は堪え忍ぶと書いて二文字だ」
   農夫、再び指折り数え、
農夫「『たえしのぶ』なら、五文字じゃないのか。なんかおかしい」
武士「なんとまあ‥。無知な人間に説明するのは、所詮無理か」
   と、少し怒ってしまう。
   が、
農夫「『かんにん』の四文字を知っているので、馬鹿にされてもおれは怒らない」
   と、言ったとさ。

まっ、「言うは易く行うは難し」ということ。有言実行とか言行一致というのは、とにかくむずかしいんだね。芥川龍之介は、「侏儒の言葉」の中でこんなことを言っている。
    言行一致の美名を得るためには、まず自己弁護に長じなければならぬ。
なるほど、ごもっとも(笑)。

たとえばの話。「勉強しなさい」と、世の親は子供に言う。でも、子供は勉強しない。なぜかというと、「勉強しなさい」という言葉に、なんかこう説得力がないんだよね。あの住職やあの武士と同じ構図。お父さんは家に帰ると、ビールを飲みながらゴロゴロ(汗)。お母さんはというと、テレビを見ながら甘いものをパクパク。これじゃ、どうもねえ。反省はしないけどさ(汗)。
子供に対しても、あまり期待してはいけない。やはり少欲知足ということだ(笑)。

これはおれの欠点だと思うんだけど、真面目一辺倒の人物をどうも敬遠してしまう(汗)。なんか軽蔑されそうなんだよね(汗)。小さい頃から薄々は感じていたことだが、おれは道徳観が少しシフトしていた。回りと少しずれていたと思う。平気で悪いこともしたし、なんのためらいもなく非常識なこともした(汗)。人に迷惑はあまり掛けなかったと思うんだけど、それも都合のいい思い込みかも(汗)。でも、今はそこそこ真面目です。はい。
12.1.27

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