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 兎追いしかの山


飯山で山菜を採ろうと出かけたが、時間がないので手前の旧豊田村(中野市)にした。

豊田支所を左折し、山道を10分ほど進んだところが永江。唱歌「故郷」を作詞した高野辰之の生まれ故郷である。
右の写真が「かの山」。大勢で山に入り、ウサギを追い詰めて狩りをしたんだね。昔は、楽しい年中行事だったらしい。ウサギの肉は何度か食べたが、あまりおいしいものではない。
で、左の写真が「かの川」。フナもいるかもしれないが、ウグイ、ヤマメ、アブラハヤがほとんどじゃないかな。イワナもいるかもしれない。

本家本元の「かの山」と「かの川」だが、ピンと来ないのでは。そうなんだ。「かの山」「かの川」は、ひとりひとりの心の中にあるものだからね。


コゴミを探したが、みんな時期遅れ。仕方ないので、沢沿いにどんどん上がった。永田小学校から15分ほど上流で、ようやく採り頃のコゴミを発見。一抱えほど収穫。食べきれない量なので、あちこちに配った。


ワサビ

ニリンソウ

ゼンマイ

マンネンタケ

コゴミ

シュンラン
11.5.03


 松屋旅館



上の写真は、千曲市八幡の武水別(たけみずわけ)神社近くにある河本屋旅館。当初の面影はほとんど残っていないが、なかなか味わい深い外観だ。とにかく印象的な建物で、ここを通るときにいつも見とれてしまう。長期滞在者向けの旅館なのだろうが、ネットで検索してもなにもわからない。今度勇気を出して、中を覗いてみようかな。
有名な姨捨の棚田が近くにあります。こちらにお越しの節は、この河本屋旅館にお泊まりを。そして、どんなだったかを報告してください。



武水別神社近くには、ほかにホテルうずらやと松屋旅館がある。うずらやの創業は江戸時代だが、今は鉄筋コンクリート4階建ての新しい建物。まっ、うずらやはどうでもいいや。チェックすべきは、鳥居近くの松屋旅館。堂々たるもんでしょ。築100年とか。一泊二食付き7000円〜という料金。きれいに残ってはいるが、それでも往時の姿ではない。元のように改修すれば、もっともっと良くなるのでは。せっかくの建物なのだから。
11.4.29


 特別な曲

音楽の話。
若い頃、衝撃を受けた曲がいくつもある。たとえば、クラシックをジャズ風にアレンジしたデオダートの「ラプソディ・イン・ブルー」(1973)。ラジオ(FEN)で初めて聞いた。電子ピアノとギターの音が、とにかく新鮮だった。LPレコードを買って、なんども聞いた。前年に出た「ツァラストラはかく語りき」のほうが有名なのかな。当時は、フュージョンはもちろんのこと、クロスオーバーなんていう言葉も一般的でなかったはず。その手のジャンルで先駆的な曲はほかにもあったのだろうが、とにかくおれはデオダートで知った。

ギター曲で有名なのが、エキゾチック(死語かも)な「アランフェス協奏曲」。ジャズでも、マイルス・デイビィスやMJQなどが取り上げている。おれが知ったのは、ジム・ホール(ギター)の演奏(1975)。この曲も、なんどもなんども聞いた。ピアノはローランド・ハナ、トランペットがチェット・ベイカー、サックスがポール・デスモンド、ドラムスがスティーブ・ガッド、ベースがロン・カーターという豪華メンバー。哀愁が漂うんだよね。おれは「ラプソディ・イン・ブルー」で洗礼を受け、「アランフェス協奏曲」を聞き込んでジャズが好きになった。
チック・コリアの名曲「スペイン」では、この「アランフェス協奏曲」のメロディが出てくる(涙)。上原ひろみとの競演とかいろいろあるが、いちばん好きなのは寺井尚子の「スペイン」かな。冒頭の「アランフェス協奏曲」のメロディがしびれる。二胡を加えた楽しい演奏もある。盛り上がるねえ。

それから、セローンの「スーパーネイチャー」(1977)。初めて聞いたのは、大音響のバイト先。すぐDJのB君に曲名などを聞いたことを覚えている。B君の情報源は、ビルボードとキャッシュボックスのヒットチャート。航空便で店に送られて来るものだ。今とは時代が違うね。
この「スーパーネイチャー」は今まで聞いたことのない曲で、シンセサイザーがとても鮮烈だった。YMOが登場してテクノポップなんていう言葉が流行るのは、3年後の80年のこと。でも、今の人には陳腐かも。

日本の曲で衝撃を受けたのは、
まずフラワー・トラベリン・バンドの「Satori Part II」(1971)。この曲にはぶったまげた。日本ロック史に残る傑作だと、個人的に思っている。ライブバージョンのほうがいいのだが、こちらはCD化されてないはず(涙)。LPレコードも捨ててしまったし、プレーヤーもないし、もう聞くことはできない(涙)。こちらは、再結成したアメリカでのライブ(2008)。泣けるねえ。
名曲「MAKE UP」(1973)も、いつ聞いても素晴らしい。今でも、海外での評価は高い。時代の先端を突っ走ったバンドだね。

どの曲もたまたま知ったものだが、個人的には画期的だった。そういう曲って、だれにもあるよね。

「ライブバージョンの10分弱のSatori Part IIは、iTunes Storeにあるよ」と、ある方からメールをもらった。おれの持っているCD「MAKE UP」は全9曲だが、iTunes Storeのアルバム「MAKE UP」は全10曲。ちゃんとライブバージョンの「Satori Part II」が入っていた。さっそく購入。やっぱ、こっちのほうがいいね。和太鼓がいい味出しているし、なんかこう丸く滑らかな感じ。ううん、ギターが泣いてるぜ(涙)。

アルバム「MAKE UP」は、もともとLP2枚組だった。それをCD化するとき、時間の都合で10分弱の「Satori Part II」を割愛したんだと思う。さきほど調べたら、CDアルバム「MAKE UP」は2枚組全10曲で再発売されていた。ファンから要望があったのかな。それでiTunes Storeにあったんだね。納得。

11.4.20


 信濃町

今日は天気がいいんで、県北部の信濃町の野尻湖小学校へ。「ひょっとしたら、撮れるかも」という考えは、やはり甘かった。建物の北側には、1.5メートルほどの残雪が。未撮影の外観は、この分だと連休頃かな。まっ、しょうがないや。

写真の通り、信濃町はあちこちに雪が残っている。豪雪地だね。飯山市や栄村もそうだけど、雪の多い年は大変。田植えの準備が遅れるからだ。白い雪は太陽光を反射して、なかなか融けないんだね。だから、田の雪の上に堆肥や灰を撒いて対処する。すごいねえ。同じ長野に住んでいながら、いつもいつも雪に驚いてしまう。

おれは、長野生まれの長野育ち。人生のほとんどをここで過ごした。だから、長野は大好きなところ。でも、雪と寒さは大嫌い。おれの夢は、南の暖かいところで暮らすこと。ただそれだけ。贅沢なものは、なにもいらない。鍋と茶碗とはしがあればいい。ほんとにそれだけ。ほんの少し欲を言えば、あとはビールかな。でも、ちょっとおいしい肴もほしい。できれば、その肴を作ってくれる優しい女がいてほしい。まっ、女房でも仕方ないか、とも思っているが‥(汗)。もっと欲を言えば、野菜を作れる畑がほしい。それから‥。結局のところ、どんどん欲が出てくるね(汗)。

今日、シジュウカラが巣材を巣箱に運び入れていた。いよいよだね。夫婦で忙しそうだった。新居のチェックは1羽だけだったが、あれってオスなのか、メスなのか。どっちかな?

写真は、野尻湖近く。正面の山は黒姫山(1121m)。この山と連続してあるのが、妙高山(2454m)と飯縄山(1917m)。ともに噴火でできた山だ。いずれも象徴的な山で、戸隠山と斑尾山を加えて北信五岳と呼ぶ。
11.4.17


 ウグイス


新居探しのシジュウカラが、庭の巣箱を入念にチェックしていた。入居間近かな。この巣箱は、地上から2メートルほどの高さ。スズメやムクドリにはちょっと低過ぎるが、シジュウカラならまったく問題なし。でも、巣箱の入り口の穴がちょっと大きいかも。

そういえば、昨日はウグイスの声を初めて聞いた。春だねえ。気づかない人が多いと思うけど、冬になるとウグイスは里に下りて来る。ウグイスは低いところ、薄暗いところが好き。そういうところで、チャッ、チャッ、チャッ(シャッ、シャッ、シャッかな)と鳴きながら餌を探している。ごくごく普通の鳥。我が家の庭でもよく見かけるが、春になってホーホケキョと鳴いたことは1回もない。多分、庭のキャパが問題だと思うんだよね(汗)。

左の写真が、今日撮ったシジュウカラ。右が、庭のウグイス。
11.4.15


 テクニック


写真は、先日撮影した介護付き老人ホームの居室。台所の照明が明るすぎて、そのままでは撮れない。こういう場合、どうするか。

台所の照明のスイッチが写らないところにあったので、露光中に台所の照明を早めに切った。3秒というシャッタースピードだが、台所の照明は1秒より短かったはず。
普通、カメラのそばに照明のスイッチがあるとは限らない。どうするかというと、照明のスイッチのところにいて、リモコンでシャッターを切る。リモコンがなければ、セルフタイマーを使えばいい。明るさのバランスはむずかしいので、何回も何回ももシャッターを切る。

別の方法としては、台所と玄関を別々に撮って、それを重ね合わせもていい。色が違う場合は、この方法しかない。ポジで撮っていた頃、フィルターを替えて二重撮りしたものだ。かなりのテクニックだね。

部屋の明るさや色を変える方法としては、蛍光灯や電球のワット数や種類を違うものと交換してもいい。面倒くさそうだが、実は最も手取り早い。
11.4.12


 後援会

年度末の忙しさを引きずっている。未撮影がいくつかある上、未処理のデータが山のよう。そんな中、女とお出かけ。車の中で、「なにかおいしいものが食べたい」と、女が色目。まあ女といっても、世間で言う女房のことだけど(汗)。入ったのは、若里の水野美術館の中にあるラ・リトラットというお店。予算外なら無理矢理連れ帰ってインスタントラーメンを食べるところだが、値段はそこそこ。店内の東側は全面ガラス張りで、広い和風庭園を見ながらのお食事という趣向だ。
この美術館の収蔵品って、なんかこうポリシーがないんだよね。「苦労して(お金をかけて)、こんな有名な作家の作品を集めました。すごいでしょ」という感じ。和風庭園もそう。ただ広いだけ。美術館の庭なのに、なんかもったいない。ガラス越しに写真を撮ろうと思ったけど、面倒でやめた。

その晩、息子がぽつりと一言。
息子「進学してみようかな」
おれ「‥‥」
女房「‥‥」
ちょっと慌ててしまった。5年で就職させようと、ふたりしてこの1年間ずっとアドバイスしてきたのに‥。まあ軽い気持ちで言ったのだろうが、ちょっと心配。
このご時世、大学に行ってもねえ。でも、行かせないというのも、かわいそうだし‥。

ついでに横の高2の娘に、
「怜ちゃん、高卒で就職したら。勉強,嫌いなんだし」
「この春はね。1人を除いて、あとは大学か予備校のどちらか」
「就職が、1人いるじゃない」
「ううん。その1人って、専門学校」
娘の進学は、仕方なさそう。せめて自宅から通えるといいんだけど。


昨晩は、息子の学校の後援会の会合。役員なのだ。名称はPTAではなく、後援会。地区ごとに分かれていて、おれは長野支部。文字通り、学生を支援バックアップする組織だ。たとえば、ソーラーカーとかロボコンとか国体とかで県外などに学生が行く場合、後援会がその交通費や宿泊代を半額負担する。「金は出しても、口は出さない」というのが、後援会のモットーとか。この半額負担の手続き・作業はどこで誰がやっているんだろう。専従の方かな。役員なのに、なにも知らない。
で、後援会はほかになにをやるかというと、さほど仕事はない。まあ強いて言えば、仕事は三つかな。ひとつは飲み会。もうひとつは飲み会の準備。そして、もうひとつが雑務。

思い起こせば、3年前のこと。新入生歓迎会なるものがあって、女房ではなくおれが息子と出かけた。そんときに役員決めがあったのだ。自発的に役員を希望する人が数人いたが、あと何人かをじゃん拳で決めることになった。おれは、じゃん拳には絶対的な自信がある。ところがだ。なぜか、「負けた人がなるんじゃなくて、勝った人が役員に」ということに。ちょっといやな予感が‥。案の定、順調に順当に勝ち進み(汗)、役員になってしまった。
役員の任期は、1年ではなく5年間。つまり入学から卒業までということ。転勤などの理由で、役員を辞める人もいるが、「役員をやりたい」と途中から加わる人も珍しくない。
飲み会なので、やはりお母さんたちが元気。わいわいがやがやにぎやかだ。お父さんは、高専のOBというのが少なくない。こういうお父さんは、いつもうれしそう。前後援会長もOBで、息子3人を高専に入れたという高専大好きおやじだった(笑)。

重要な議題があるわけではないので、会合には出たり出なかったり。おれが行ったり、女房が行ったりだ。会合は、まずは乾杯で始まる。とにかく意味のない挨拶は、皆無。これは学校の伝統でもあるようだ。たとえぱ、入学式や卒業式。やはり来賓が居並ぶが、来賓の挨拶というのは一切ないそうだ。出席した女房が、式の簡潔さと演出に感心していた。

昨日の酒の席での話題は、やはり卒業後の進路のこと。どの親も心配していた。学生の6割以上が進学しているが、この春の場合は就職が例年より増えたとか。なんせ、大学は就職難だからね。
我が家の子供たちは、いったいどうするのだろう。まあ、いちばんは経済的な問題なんだけど(汗)。
11.4.10


 人生の目標

このホームページを見た方からときどきメールをもらう。たいていは建設関連か同業者の方。内容はというと、感想とかアドバイスとかお礼とか質問とか、とにかくいろいろ。でも、建築や写真とはまったく関係ない方からもメールをもらう。たとえば、「いい温泉を知りませんか?」とか「趣味がなくて困ってます」とか「オキナグサを知らないか?」などという内容。おれと、どういう接点なんだろうか。もちろん、ていねいに返事を書いているけどね。おもしろいねえ。
メールだけでなく、こちらに直接尋ねて来る方もいる。こちらは、例外なく男。女性はひとりもいない。身の危険を感じて、警戒しているのかも(汗)。もちろん、なにもしないのにねえ(多分だけど)。
先日は、同業者の方が岐阜県からわざわざ来てくれた。岐阜からだと、片道3時間半くらいかな。建築や結婚式なんかを撮っている方で、とりとめのない話を4時間近くもした。写真の話に限らず、SLの話とか家族の話とか、話すことはいろいろあるからね。
それから、「建築写真の撮り方について話してくれ」という依頼もときどきある。先月だったかな。インテリアコーディネーターの集まりで少し話して来た。昨年は、富山の不動産業者の団体に呼ばれた。話すことは苦手だが、断るほど偉くもないしね(汗)。

「ずいぶん顔が広いのでは」と言われるが、まったくの逆。実のところ、かなり狭い(汗)。どこかの団体に所属しているわけでもないし、わいわいがやがやと大勢で飲みに行くこともない。仕事以外では、いつもひとりで家にいる。非社交的というわけではないが、人と接していなくても苦にならないのだ。
だから、同業者との付き合いもあまりない。電話をすることも滅多にない。先月だったかな。「ヘアメイクの写真を撮ってくれ」という依頼が美容院からあった。聞けば、ポスター用とコンクールの出品用の写真とか。おれには撮れないので、専門の村松さんに撮影を頼んだが、同業者に電話するのも、こういうときくらいかな(汗)。

昔、「名もなく貧しく美しく」(1961)という映画を見た。ろう者の夫婦がひたむきに一生懸命に生きる話だ。話は戦中から始まり、とにかく苦難の連続。林少年は、涙ポロポロで感動また感動。息子の一郎の成長する姿が、これまたいいんだな。「友達を家に連れて来なさい」と、母から何度も言われても、恥ずかしくて呼ぶことはなかった。でもあるとき、一郎は友達を家に呼ぶんだね。ところが、「こんな私がいたら、恥ずかしいでしょ」と、母親は外に出てしまう。変な気遣いをしたんだね。そんな母親に、「お母さんに紹介したかったんだ」と、一郎。泣かせるねえ。
影響されやすく純真な林少年は、こう決意した。おれも、名もなく貧しく美しく生きよう!

そして。
おれは、ひたむきに一生懸命ではなかったが、分相応にそれなりに生きて来た。その甲斐あって、「名もなく貧しく美しく」という人生の目標の大半(名もなく貧しく)は確実に達せられた。はい、そう自負してます(笑)。でも肝心な「美しく」のほうは、かなりほど遠い。ほとんど反省してないけどね(汗)。
11.3.26


 新しいコンデジ



昨晩、新しいコンデジが届いた。機種はソニーのサイバーショットHX9V(ゴールド)。1680万画素、24mm〜384mm(35mm換算)の16倍ズーム、強力な手ぶれ補正、さらに1080/60pの動画が撮れるという優れもの。安物のビデオカメラより写りが良さそうだ。デジイチの進歩はここに来て鈍いが、コンデジの進歩はすさまじい。

上の写真は、その24mmで撮ったもの。設定は,おまかせオート、露出補正−1/3。もちろん、手持ち。フォトショップでレベル補正をいじっただけで、色はそのまま。いいねえ。高倍率ズームなら、広角の樽型の歪曲収差(ディストーション)はかなり大きいはず。しかしカメラ内で歪曲を補正しているので、ご覧の通り。直線は直線に写っている。昨年発売のHX5Vも静止画は歪曲をきれいに補正していたが、動画はひどい歪曲だった。ところが、このHX9Vは動画もきれいに補正している。すごいねえ。

液晶保護シート、予備電池(中国製)が3本、充電器(中国製)は既に購入済み。SDカードは、4G、8G、16Gの計4枚をHX9V用とした。FinePixは御役御免にして、今日からはこのカメラを持ち歩こう。やはり、カメラとなんとかとなんとかは新しいのに限る(汗)。
11.3.25


 マニュアル車

今朝起きたときは青空だったが、今は曇り空で雪が舞っている。寒い。3月も、下旬なんだけどねえ。
昨日は運転免許証の更新ということで、市内の運転免許センターへ。視力検査が難関だったが、お情けでなんとかパス(汗)。危なかったぜ。2時間の講習を受けて、無事終了。次回は平成26年だ。免許証の自分の写真を見て、「なんか疲れてるなあ」と独り言。

高1の娘は、普段通り学校。勉強勉強の毎日で、いつになったら春休みになるんだろう。今度の土曜日は、5人ほどの友達が我が家にやって来る予定。今からお菓子の心配をしている。
中学校のときは細かった娘も、今はその面影はない。そういう年頃なのか、かなり太い(泣)。身長は、1m70cm。背が高いというよりは、単にデカイという感じ。かわいらしい服を着たいらしいが、試着してもことごとく大きさが合わないらしい。娘は涙、女房はため息。困ったものだ。

高3の息子は、隣町で自動車教習中。友人5人と合宿している。音沙汰がないので、どんな様子なのかわからない。今日が仮免の試験日のはずだが‥。なんとか最短で取得してもらいたいものだ。
今回、車の練習を河川敷で少しした。が、我が家の車はオートマ。あわててマニュアル車を探したが、これが見つからないんだね。レンタカー屋も問い合わせたが、マニュアル車はゼロ。苦労して見つけたのが、友人の軽トラ。これを2時間ほど借りた。上達しなかったが、クラッチ操作なるものを少し体感できたと思う。マニュアル車って、今はないんだね。軽トラも、ほとんどオートマだし。
今になって思うのだが、息子はオートマ限定でも良かったのでは。将来マニュアル車に乗る必要性ができたら、そんときに講習なり試験なりして取得すればいいのでは。現実問題として、マニュアル車を運転する機会はなさそうだし、仮に免許を持っていても数年もすれば操作を忘れて、マニュアル車に乗れないじゃないかな。
今でこそ「オートマ限定」なるものがあるが、そのうちそれもなくなるのでは‥。

女房は、ボランティアの準備中。行き先は、県北部の栄村の避難所。長野市からだと、片道2時間かな。「体を動かそう」ということで、体操なんかをやるのかな。

写真は、某原発の制御室。以前、雑誌の取材で撮ったもの。
おれの小学校の頃の話。ソ連はたびたび核実験を行ったが、そのたびに日本の放射能汚染がニュースになった。特に雨の日は要注意で、家に帰ってから酢で髪なんかを洗ったことを覚えている。「酢で洗う」というのは、いったいどういう科学的根拠だったんだろう。
原発については感覚的に嫌悪感があったが、改めて考えないといけないね。知恵を出し合ってさ。

11.3.23

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