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 2010年



写真は高校(69年)からだが、生業にしたのは79年から。この10年20年、レンズ性能は格段に良くなり、カメラにいたっては夢のような進歩を遂げた。
今年の年賀状の写真(長野市横沢町)は80年1月に撮影したもの。ちょうど30年前だ。機材は大きく変わっても、今も相変わらず似たような写真を撮っている。進歩がないね。

今年は2010年。これからいいことがたくさん始まる、節目のような年であってほしい。ありきたりだが、切実な願いだ。
10.01.01


 年末

毎年のことながら、年末はゆっくりのんびり過ごしている。

28日は、久しぶりに直江津港へ。豆アジがたくさん釣れていたが、おれはのんびり投げ釣り。釣果はというと、ハゼ5匹。海釣りでは、ときどき魚以外のものが釣れる。カニ、イカ、タコ、シャコ、ヒトデ、ナマコなどだが、この日は最悪なものが釣れた。長さ10cmほどのウミケムシ(海毛虫)である。思い出しただけでも寒気が。
年賀状に使う写真を選び、文字を入れてプリント。で、すぐ宛名書き。あっという間に終了。

29日は、古いネガのスキャニング。ヒマを見つけてしているのだが、遅々として進まない。なんとか夏ぐらいには終わらせよう。スキャニングの後、いろいろな補正修正をするが、これは来年いっぱいかかりそう。
息子(ほかに3人)は友人宅(豊田村)にお泊まり。娘は冬期講習。

昨日は、塩カルで真っ白になった車を洗車。洗車なんて、2年振りか(汗)。おれの性格上、車の汚れはまったく気にならない。今回は女房の厳命に従ったもの(涙)。その女房は、朝から晩まで家の掃除。「そこまでしなくていいんじゃねえか」と、無駄とは知りながらアドバイス。もちろん、即却下。これが藪蛇となって、窓ふきをするハメに。
息子の帰りが遅いなあと思っていたら、夜の10時半になってやっと電話してきた。もう一晩泊まって来るとのこと。連絡を忘れるぐらい楽しいのだろう。娘は、友達から借りた嵐のDVDにうっとり。

大晦日の今日は、朝から小雪。特別用がないので、ビールでも飲みながらネガをスキャンしよう。で、夕方から買い物かな。

写真は千曲川河川敷の畑(長野市松代町)。長芋は初冬か早春に収穫する。地元だと、1本300円から500円というのが小売りの相場。折れたものは超格安だ。
09.12.31


 年賀状



そろそろ年賀状の時期だが、ちっとも慌てていない。例年、30日か31日に投函するからだ。でも、今年はもう少し早く出そう。目標は28日の月曜日。まずは写真選びだな。さて、どのカットにしよう。

毎年書くのは40枚程度。かなり少ない。「年賀状なんかやめようかな」とも思わないでもないが、それはそれで面倒なんで、なんとなく続けている。苦労するのが字。寒気がするほど字が下手なのだ。
字のきれいな人は得だよね。字の下手な人はその逆。一生恥をかき続ける。たとえば芳名帳。係の人が注目する中で緊張して書くのだが、いつもいつも冷や汗。ゆっくりていねいに書くと、まるで小学生のような字になる。気取ってサラサラと書くと、もうめちゃくちゃな字になってしまう。ああ、恥ずかしい。なにをどうやってもダメなのだ。
書は人なりという言葉ある。書には、やはり書いた人の個性というか性格いとうか人格が出るのだと思う。改めて自分の字を見るまでもないが、今さらながら落ち込んでしまう。
ここで一句紹介。
         下手な字で 初恥をかく 年賀状



もうずいぶん前の話。親戚の家に行ったとき、1枚のハガキを見せられた。おれのいとこ(東京在中)の相手の女性から送られれて来たものだ。なにかを送って、その礼状だったと思う。おれは一目見るなり、「オオッ」と歓声を上げてしまった。そのハガキの字のきれいなこときれいなこと。ため息が出るほどきれいだった。冷泉家に伝わる王朝の典雅なかな書のイメージかな。こんなきれいな字を書くんだから、さぞかしきれいなんだろうなあ。万が一、まあそんなことはないだろうが、万が一きれいでないにしても清潔感あふれる楚々とした女性に違いない。1枚のハガキで、みな勝手な思いを巡らせた。それは想像から確信になり、話は大いに盛り上がった。ところがだ。結局のところ、いとこはその女性とは縁がなかった。いとこはなにも見せず、なにも語らず。話はそれで終わり。
終わったのだが、しばらくはその女性のことが気になって仕方なかった。今でもそう。きれいな字を見るたびに、まだ見ぬその女性のことを思い出す。どんなひとだったんだろうかねえ。一目見たかったなあ。でもまあ、実際に見ていたら、今ごろこんなこと書かないよねえ、たぶん。意味は違うけど、「夜目遠目笠の内」と同じだね。

そのいとこ、もう40も半ばのはずだが、結婚したという話は聞いていない。余計なお世話で邪推なんだろうけど、ひよっとしてひょっとしたら今もってその彼女のことを引きずっているのかな、なんてつい思ってしまう。

こういう話を女房にすると、決まってこう言われる。そんなことを考える人を、世間ではスケベと言うのよ。確かにスケベかもしれない。でも人間、ひとつぐらい取り柄がないとね(汗)。人に自慢はできないけどさ。と言いながら、けっこう自慢したりするんだよね。で、女房にこう言われる。林さんみたいな人を、世間では口だけと言うのよ。はい、反論できません(汗)。
09.12.24


 雪の飯山



今朝の長野市はマイナス8.2度。菅平(上田市真田町)は、なんとマイナス23.4度。この菅平の気温は、全国の観測所の中で最低だったらしい。今朝は北海道より寒かったんだね。外に出たら、手や顔が痛いほどだった。どうりで。寒いのは、ほんと苦手。

先日の雪の日、がんばって飯山方面に行って来た。雪の写真を撮るためだ。というよりロケハンかな。
あたり一面、雪で真っ白。ところどころに竹の棒を立てて路肩の目印としているが、それでも道路なのか畑なのかさっぱりわからなかった。バックするときは車から降りて確認するのだが、目で見てもわからないのだ。
走行中、苦労するのがワイパー。氷のような雪がワイパーに付着してしまい、ワイパーが動くものの、ちゃんと払拭しなくなるからだ。ときどき車を止めて、ワイパーの雪の除去。これが寒いんだな。外は横殴りの雪。ほんのちょっと出ただけで、体中が雪で真っ白になる。雪国の雪は、とにかくすごい。
撮影も大変だった。レンズが曇ることはないが、雪でレンズが濡れてしまうのだ。風上に向かっては、まず撮れない。車の中から撮るのがいちばんいいのだが、風の向きによっては窓から雪がいっせいに吹き込んで来る。それに、路上だと追突されそうでとても怖い。雪の日は濃霧と同じで、前方がほとんど見えない。で、ほかの車に神経を配りながらのヒヤヒヤ撮影。ああ怖かった。



長野県は広いので、地理的文化的に北(ほく)信、東(とう)信、中(ちゅう)信、南(なん)信の四つに区分している。また、東北信と中南信の二つに分けることもある。東信というのは、上田、小諸、軽井沢、佐久。中信は、大町、松本、塩尻、木曽。南信は、諏訪、伊那、駒ヶ根、飯田。北信は、長野、中野、飯山。白馬村や小谷村は北信ではなく、中信に入る。天気予報の県内区分は、北部、中部、南部の三つ。観光雑誌なんかで「北信濃」という言葉をよく目にするが、地元の人間はまず使わない。
それから、北信で県境(けんざかい)といえば、新潟県境を指す。東信では、群馬県境か山梨県境か埼玉県境(林道)。南信なら、山梨県境か岐阜県境。場所によっては、静岡県境とか愛知県境を指すことも。中信なら、新潟県境か岐阜県境だろう。富山県とも接しているが、マイカーでは行くことができない。

雪が多いのは、県北部の新潟県境。大町市、白馬村、小谷村、信濃町、飯山市、栄村といったところ。この栄(さかえ)村は、7m85cmという日本一の積雪記録(1945年)を持っている。半端じゃないね。
この日も雪が強く、行ったのは飯山の西大滝まで。つぎは栄村まで行ってみよう。もう少し積もってからのほうがいいから、年が明けてからかな。もちろん大雪の日にだ。
09.12.22


 小さな分校



先日、あてもなく山道をドライブした。長野市の小田切から七二会、中条村からさらに小川村へ。くねくねとした細い山道。小さな集落をいくつも通り過ぎた。すれ違う車はほとんどなく、まして通行人などは皆無。のどかな景色だが、ときどき廃屋が目に入った。なんか寂しいね。旧分校とおぼしき建物もいくつも見た。

車から降りて、旧岩草分校(七二会)に寄ってみた。猫の額ほどの校庭。100メートル競争なら、トラック2周という感じかな。ここで歓声を上げて本当に運動会をしたのだろうか。それとも本校で合同運動会をしたのかな。
分校というのはいくつもの集落の中間に建てるので、サイトが集落にあるとは限らない。なにもないところに突然小さな校舎が建っていることもある。この分校も、いちばん近い人家まで歩いて10分。中には往復3時間なんていう子もいたろう。大雪の日なんか、どうしたんだろうか。豪雪地の飯山には、各集落に冬期分校というのがあった。また冬期は家から離れ、分校に合宿という地域もあった。今はそんな分校はないだろうけどね。

長野県の民家を撮り始めた頃(80年代前半)、併行して各地の分校を撮ろうと思った。でも、時期が5年ほど遅かったんだね。既にほとんどが廃校になっていた。残念。分校の生き生きとした子供たちを撮りたかったのだが‥。県内には、こういった分校(すべて廃校)がたくさん残っている。何百という数じゃないかな。全部撮ってみたいと思わないでもないが、廃校はどう撮っても所詮廃校。写るのは、暗いノスタルジーだけ。でも、分校の簡単な歴史と往事の写真なんかを載せれば、おもしろい本になるかも。

小川村から峠を越して鬼無里に入り、また峠を越して白馬村へ。眼前の北アルプスがとてもきれいだった。茅葺きの民家は極端に少なくなっていたが、それでもポツンポツンと残っていた。


おれはこう思うんだ。写真屋というのは、大げさかもしれないが、いつもその時代時代を写して来た。その意図がなくても、結果としてその時代を写して来た。それが写真屋の義務使命とは言わないが、写真屋はその時代を写すいい機材と高い技術を持っている。それから、撮ったものをどうまとめるかも知っている。忙しいとは思うけど、仕事からちょっと離れて、ちょっと立つ位置を変えて、なにか別なものにカメラを向けてもいいんじゃないかな、とね。
今はどの家にもカメラがあり、いつどこででもケータイで写せる時代になった。でも、写真屋の仕事はちっとも変わらないと思うんだよね。だからさ。知り合いに(自分を棚に上げて、自戒を込めて)ときどきこう言うんだ。カメラを持って外に出ろよ。自分の好きなテーマを決めてさ。
「今」を撮るんだ。「今」は、今しか撮れないんだからさ。

フィルムからデジタルになり、写真は大きく変わった。写真屋も変わった。おれなんかは、取り残された感があるけどね。話題になるのは、
オートフォーカスが何ミリずれている」とか「ストロボが同調しない」とか「パソコンのスペックがどうこう」ということばかり。もちろんそういうことはいい写真を撮るためには不可欠な知識で、とても大切で重要なことだ。大切で重要なことなんだけど、そればかりだと、なんか寂しいんだよね。そういう会話に付いて行けないオヤジのひがみかな。そろそろ年寄り扱いされそうだ。
09.12.12


 娘が夢中

うちの中3の娘は嵐が大好き。聴く曲もすべて嵐。PCでなにをやっているかと思えば、ヤフオクで嵐のDVDのチェック。先日なんか、お金がなくてファンクラブに入れないと泣いていた。嵐、嵐の毎日だ。そういう年頃なのかな。
それから、おれのノートパソコンのスクリーンセーバーだが、なんと嵐の写真に替わっていた。これには驚いた。オイオイという感じ。クールなMacBook Proが泣くぜ。

YouTubeは、たまたま見つけたグループサウンズのオックスのライブ(名古屋市公会堂)。69年の録音らしいから、今から40年も前のものだ。会場のファンが、本当に楽しそうに幸せそうに大合唱している。
当時、レコードは高かった。コンサートのチケットも苦労して買ったに違いない。ましてや学校やPTAで問題になったグループである。親に内緒で行った娘もたくさんいたのでは。失神騒ぎで社会問題になったとはいえ、あのデスメタルバンドのデトロイト・メタル・シティに比べたらかわいいかわいい(笑)。それに曲もそう。NHKの「みんなの歌」でもおかしくないくらい。

40年前に大合唱した彼女たちも、もう孫がいてもおかしくない年になっている。GSの後、ユーミンとかサザンオールスターズとかいろんな歌い手やグループに夢中になったろうが、この日のライブのことは決して忘れないと思う。チケットを手にしたときの感激、カレンダーを見ては日にちを数えたこと、席に座り緊張して開演を待ったこと、会場の熱気、スポットライトを浴びたオックス、そしてみんながひとつになって歌ったこと。それらが、今も心の片隅でダイヤモンドのようにキラキラ輝いているんだと思う。そしてこの曲を聞くたびに一緒に口ずさみ、あの遠い日を思い出し、胸をキュンとさせているのでは。

これを書いていたら、居間からピアノの音が聞こえて来た。そうか、今日はピアノの習い事の日だ。いつもより念入りに弾いているが、ときどき嵐の曲になる。先日譜面をダウンロード(有料)してやった曲だ。本当に好きなんだな。
来月はナゴヤドームで嵐のコンサートがあるとか。チケットは手に入りにくく、子供に代わって親がチケットの争奪戦に大騒ぎらしい。春になったら高校も決まっているだろうから、チケットを買ってあげようかな。なんてね。親バカだね。でも、参戦は気が重い。かといって、ダフ屋の世話にはなりたくないし。どうなることやら。
09.12.07


 迷惑メール



日に2度ほどメールチェックをするが、うんざりするのが迷惑メール。大半が外国からのもので、内容はバイアグラの通販とかピンク系とか金融関係とか、とにかくいろいろ。その数、1日100件から200件。どうしてこんなにたくさん来るんだろう。まあ、あちこちのいかがわしいサイトを覗くなど、多少身に覚えがないこともないけど(汗)。それにしても数が多過ぎる。
仕事関係の大切なメールはほんとうに少ない。2日に1件あるかないかくらい。少ないがためにときどき迷惑メールに紛れてしまう。これが怖い。迷惑メールを消去するときに一応はチェックするのだが、ごくまれに漏れてしまうことも。よくよく気をつけないとね。ひょっとしたら、「返事が来ない」と泣いている女性がいるのでは(汗)。
以前はマック付属ソフトのMailを使っていたが、おれにはどうも合わなかった。で、今はEntourage(アントラージュ)だが、もっといいソフトに替えたいと思っている。なにかいいのがないだろうか。山のような迷惑メールをきれいに処理してくれるやつ。

仕事関係の請求書は、80円切手を貼って郵送している。でも、手紙らしい手紙なんてずっと書いていない。ほんとにずっと。最後に書いたのは‥。いろいろ記憶を呼び起こすのだが、まったく思い出せない。ひょっとしたら20年も30年も書いていないのでは。ハガキは、それでもちょくちょく出すんだけどね。よく考えたら、そもそも手紙を出す相手がいない。
手紙といえば、ラブレターを思い出す。書いたこともあるし、もらったこともある。みな昔々のことだ。ああ、ラブレターか‥。「引き出しの中のラブレター」とか「出せなかったラブレター」とか「届かなかったラブレター」とか、どのラブレターにもひとつひとつドラマがあるよね。

飲みに行ったとき、女性が紙切れをそっと手渡してくれることがある。ちらっと見ると、電話番号が‥。というのはウソ。書いてあるのは電話番号ではなく、そこの飲み代。お勘定というやつだ(汗)。で、いつもこう思う。なんでおれに寄越すんだよ。どう見ても、隣の奴のほうが金ありそうだろうが。

気持よく支払いたいものだが、ひどい店の場合は「あれでこの料金かよ」と言いたくなる。こういう店に限ってサービス料なんていう項目が伝票にあるんだよね。「サービスなんて、まったく身に覚えなんかないぞ」と言いたいところだが、気が小さいんで黙って支払いを済ます。さらに「ごちそうさま。おいしかった。また来るよ」なんていう、心にもない言葉がつい口から出てしまう。自分のことながら呆れちゃう。どういうんだろうねえ。

写真は、家の近くで撮ったニセアカシアの林。下草(スズメノチャヒキかな)が絨毯のよう。写真というのは、なんだかんだ言っても、やはり光と影だ。いい写真にはいい影がある。けだし名言だ。
09.12.06


 インフルエンザ



昨夕、中3の娘が発病した。悪寒、発熱(38.5度)、頭痛、軽い咳という症状。流行のインフルエンザが疑われた。ところが今朝は、そこそこ元気になっていた。熱を計ると、37.3度。やはり高い。「学校に行っちゃ、まずいかな」と娘。「インフルエンザならまずいだろ」ということで、今日は学校を休ませた。
ここからが我が家らしいのだが、「病院に行くべきか」という議題で家族会議を開いた。我が家の場合、たかがインフルエンザぐらいでは病院には行かないからだ。が、今回は娘の無遅刻無欠席の皆勤賞がかかっている。インフルエンザなら、欠席とはならず公欠扱いになる。でもこの場合、インフルエンザという医師の診断書が必要なのでは。ということで、娘を近くの病院へ。検査の結果、案の定新型インフルエンザ。娘は一安心したようだった。3390円を支払い、薬をもらって帰宅。
学校の担任にインフルエンザの旨を報告すると、先生はこう言った。インフルエンザで9人欠席なんで、昼過ぎにクラス全員を帰宅させます。木曜日まで学級閉鎖です。

これは息子(高2)の学校での話。インフルエンザで1週間休み、回復して授業に出たら、その日に学級閉鎖になった友人がいたとか。先月の2泊3日の関西研修旅行では、出発前日に発病した学生が何人もいたらしい。楽しみにしていたのにね。かわいそう。もっと悪い例もある。無事旅行に行ったものの、神戸に着いた途端発病した学生がいたとか。で、どうしたかというと、親が神戸まで迎えに行ったとのこと。いやはやご苦労様。この時期、そういう話はたくさんあるのでは。
それを思えば、娘はいいときに発病したというものか。来年は受験だしね。これで予防接種の必要もなくなったというものだ(汗)。

「娘を隔離」というアドバイスがあったが、我が家の場合はまったく無視。娘はマスクもせず、普段通りの生活。5種類の薬を処方されたが、服用するのはリレンザ(吸引がおもしろいらしい)だけ。ほかの薬は未開封のまま置いてあった。どうも飲む気がないらしい。
息子は大事な時期で、明日から後期の中間試験(3日間)が始まる。が、まったく気にしていない様子。マスクなしの娘と普通に話をしていた。大丈夫なのかなあ。まったくにもって、衛生観念ゼロ。この親にしてこの子ありか(汗)。

息子が保育園の頃の話。流行のおたふく風邪にかかり、保育園を数日休ませた。治ったんで保育園に連れて行ったら、「治癒証明書を持って来てください」と言われた。これには困った。仕方なく病院に連れて行ったのだが、先生はあきれ顔。なんせ初診で治癒証明書を書いてくれてと頼んでいるのだから。先生はブツブツ言いながらも証明書を書いてくれた。とにかく一件落着(汗)。

さきほど、娘の担任が来てくれた。欠席した生徒の家を回っているのだろう。もらったプリントを見ると、このインフルエンザに関しては医師の治癒証明書はいらないとのこと。それがわかっていれば病院なんぞには行かなかったのに。一家揃って悔やんでいるところ(汗)。
今、娘は絶好調。ピアノ、読書、勉強、PCと、とても元気がいい。息子も、テスト勉強に一心不乱。いつもと変わらぬ夜だ。
それにしても、残念に思うのが国民健康保険。入っていてよかったと思ったことなど、今までに一度もない。自動車保険のような割引サービスがないのだろうか。

写真は小川村。遠くの白い山が北アルプス。燃しているのは、枯れたワラビ。
おれの好きな風景写真は、人が写っているもの。あるいは、人の営みが感じられるもの。
時間があると、こういう農村風景を撮っている。一銭にもならないんだけどね。いい写真が集まったら、また写真展をやるつもりだ。

09.11.30


 信州の民家



初めてHPを作ったのは、10年前の2000年のこと。
でも、そんときはまだデジタルカメラを持っていなかった(汗)。HPの写真は、すべてフィルムをスキャン(エプソンのフラッドベッドタイプ)したもの。最初は、「トーンカーブ」とか「レベル補正」などという基本的な言葉も意味も知らなかった。スキャンした画像は後処理が不十分で、まあひどいものばかり。ちょっとひどいね。。

初めて買ったデジタルカメラが、ニコンのD100。2002年のことだから、かなり遅い。値段は覚えていないが、30万円くらいしたのかな。当時、DX用の広角レンズがなくてね。同時に買ったのが、シグマの15-30mmというレンズ。その翌年DX12-24mmが発売になり、ようやくデジタルで仕事ができた。シグマの10-20mmが登場したのは、05年のこと。このシグマのレンズは大いに助かった。

先週から「民家」のフィルムスキャンを始めた。デジタル保存するためだ。スキャナーは数年前に買ったニコンCOOLSCAN V ED(35mm専用)。満足できるスキャナーではないが、改めて新製品を買うこともなかろう。そもそも新製品があるのかな。調べたら、やはりモデルチェンジはなし。5年も6年もモデルチェンジしないというのは、デジタル機器としては珍しいことだ。ほとんど売れてないのだろう。



あれは長野冬季五輪の前の年だから、97年のことだ。あるオリンピック関連施設の竣工写真を依頼された。そんときの話。打ち合わせのときに設計事務所の担当者からこう聞かれた。あなたは日本写真家協会員ですか?「いいえ」と答えたら、仕事を断られた。友人の名前を使えば、その仕事は取れたんだけどね。無所属で損したことは、知っている範囲ではそれだけ。
この業界にはいくつもの団体がある。たとえば、日本写真家協会(JPS)とか日本広告写真家協会(APA)。日本建築写真家協会(JAPS)なんていうのもある。それらの入会を何度か誘われたが、「また今度」といつも断った。別に気取っているわけではない。ただ、めんどくさいことが大嫌いなのだ。団体に所属していれば、新製品や新技術などの情報をいち早く知ることができるし、いろいろな特典も受けられる。同業者の動向も知れ、いい刺激になることは間違いない。有形無形にいろいろ損をしているとはわかっている。わかっているんだけど、やはり入る気はない。これから先もそうだろう。偏屈なのかな。

この「住宅写真の撮り方」というサイトは、もうじき2年になる。こうやってくだらない文章を「雑感」にときどきアップしているが、そろそろ飽きてきた。サイトの訪問者数も少ないしね。それに、「なんのためにこんなことをしているんだろう」なんてときどき思ったりするわけさ。さてさて、どうしたものか。今後のことをゆっくり考えよう。
09.11.22


 釣りに行こう

来週あたりに海釣りに行くつもり。場所は、ここから最短の直江津港かな。今なにが釣れているんだろう。まあなんでもいいや。とりあえず小アジを釣って、そいつをおとりにしてヒラメでも狙うか。それともアオリイカを狙うか。

生き餌(小アジ)を付けて、海に投げ込んで、後は車の中で待つだけ。こういうときにビールが飲みたいんだよね。でも、自分の車で行くと飲めない。これが残念。車の中で眠り、朝帰りという手もあるんだけど‥。これだと1泊2日になってしまう。やはりだれかをそそのかして、一緒に釣りに行くのがいいかも。もちろんおれは助手席。多少後ろめたい気もするが、この際我慢してもらおう。ついでに、釣った魚をみんなもらってもらおう。我が家の場合、魚を持ち帰るとイヤな顔をされるからね。一石二鳥というやつだ。でも、そういう都合のいい人って、なかなかいないんだよね。

冬の時期、同じ長野市でも北と南では天気がかなり違う。南部は晴れていても、北部は雪という日が珍しくない。雪の量もまったく違う。北部は日本海側の天気に近いのだ。
車に乗ってR18を北上すると、雪がどんどん多くなる。県境の信濃町から新潟の妙高市にかけてがピーク。妙高市から上越市に入ると、雪はだんだん少なくなる。ほんの数十kmの間なのに、その変化は劇的だ。雪国には「一里一尺」という言葉ある。一里進むと一尺雪が深くなるという意味。似た言葉に「一坂五寸」なんていうのもあるが、まんざら誇張とは思えない。

日本海側は、曇りと雨の日が続く。晴れの日などほとんどない。風もかなり強い。天気予報を見て釣りに出かけても、途中で引き返したことが何度もある。冬の日本海側はいやなところだね。
09.11.18


 雪道の運転

これから来年3月まで厳しい寒さが続く。寒いのは仕方ないとしても、困るのが雪。山には雪が必要なのだろうが、平地ではいいことがひとつもない。天気予報を見れば、雪だるまのマークがちらほら。そろそろ冬用タイヤに履き替えねば。

雪道の運転は緊張の連続。とにかくスピードを落とし、車間距離を取ること。これしかない。長野は車社会。通勤はマイカーというのが多い。雪の日は渋滞を予測し、いつもより15分とか30分も早く家を出る。皆慣れたものだ。のろのろ運転なので、雪の日は一日中渋滞してしまう。

雪が積もると路肩がよくわからない。で、心理的に道の中央寄りを走ることになる。交通量が少なくて狭い道だと、轍が3本になる。つまり右側の轍は対向車と共用というわけだ。雪道での脱輪は、それこそ大変。轍が3本あればまだいいが、ビビるのが細い山道だ。対向車がないことをつい祈ってしまう。
それから、歩行者にも要注意。朝なんか除雪してない歩道を嫌って車道を歩く人が珍しくない。さらに怖いのが自転車。目の前で突然転倒したりするからだ。

「乗れば人 歩けば車が 邪魔になり」という川柳がある。
雪道を歩くのも大変だ。滑って転ぶことはあまりないにしても、道路のシャーベット状の黒い雪を車がはね飛ばすからだ。場所とタイミングが合うと、全身ずぶ濡れになる。高く跳ね上がるので、傘では防御しきれない。
いちばん怖いのは、スリップした車が歩道に突っ込んでくること。これはもう防ぎようがない。20年くらい前かな。雪道を運転していたら、前の車がスリップし、歩道に乗り上げた。そこにたまたま20代前半の青年がいたのだ。青年は仕事の面接に向かう途中だったたらしい。運転していたのは、60代のおばさん。幸い入院するほどの怪我ではなかったが、こっちまで怖かった。
交差点は事故が多いので、要注意。信号待ちするにしても、道路から少し離れて立つ。これは雪国常識。汚れないためと事故の巻き添いにならないためだ。

雪道は小さな事故はやたら多いが、大きな事故というのは意外に少ない。なぜかというと、スピードを出さないからだ。とにもかくにもゆっくり運転すること。もっといいのは、雪道は運転しないこと。
09.11.18

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