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 写真雑感

初級~中級 住宅写真の撮り方 


 

習性

撮影したのは昨年の春。経済誌の取材ということで、某IC企業の工場へ。きれいなお姉さんに案内されて、広いホールから階段を上がった。ご覧の通りなかなかの建物。ねえ、ここ撮るよね。同行の編集者に聞くと、彼は首を横に振った。まあ、ここは関係ねえもんな。そうは思いながらも、手持ちで数カットをパチパチ。建築写真をメインに撮っていると、使わないことを承知で撮ってしまうんだよね。で、仕事で撮ったのは、社長のアップ、製品、工場の様子、工場と社長など。写真屋としては、製品を持った社長を階段に立たせて撮りたかったなあ。


 引っ越し前・後の撮影

引き渡し前(引っ越し前)に撮る場合は、室内はがらんとして殺風景。撮影自体は簡単なのだが。官公庁に提出する竣工写真ならいざしらず、写真屋としてはどうも不本意。
設計では、ここにテーブルを置いて、ここに絵を飾って、ここに本を並べてとか。最終的な絵を思い浮かべて設計しているはず。写真屋としても、その本来あるべき最終的な姿で撮りたいものだ。

しかしだ。これがむずかしい。クライアントが、すぐ写真を使いたいとか。引っ越してからだと、施主が嫌がるとか。変な家具なんかがゴチャゴチャ置かれそうとか。とにかくいろいろ理由で、引っ越し前に撮ることが少なくない。場合によっては、カーテンやブラインドが入る前に撮るということも。重ね重ね残念。

引っ越し後の撮影というのは、これが実に大変。時間がかかり、施主に迷惑がかかるからだ。外観は、建物の向きや形にもよるが、普通は午前と午後と夕方に撮影。室内は、日中と夕方に撮影する。外観内部ともに、季節や天候に大きく左右される。撮影当日になって、「今日は天気が良すぎて‥」「今日は暗くて、どうも‥」などとは言いにくい。

外観撮影では、いろいろなものをどかす。ベランダに干した洗濯物や布団、車や自転車等、等。まったくにもって恐縮してしまう。室内もしかり。カメラを構えて写る範囲だけだが、家具の位置や向きを変えたり、見えないところに隠したり。さらに花を飾ってもらったり、食器を並べてもらったり。これまた恐縮の極み。いい施主ならいいが、機嫌の悪い施主なら、怒られそう。まあ因果な商売だ。


 ペンタックス67

メインカメラは、以前はペンタックス67だった。フィルムサイズは56mm×69mmで、120フィルム10枚撮り。普通ロクナナと呼ばれるタイプだ。もちろんアオリ機能のないリジット。室内撮影はもちろん、外観撮影まで、ほとんどこのカメラでこなしていた。自分で言うのもなんだが、なんとまあ無謀な。ちゃんとした、まともな建築写真家が聞けば、呆れてしまうに違いない。

ペンタックス67は、まずスクリーンを格子線にし、ファインダーは視野率100パーセントのウェスとレベルに交換。レンズは、ちょっとディストーションが気になる45mmF4がメイン。フィルムは、ポジならRDP、RVP、RHP、RTPなど。ネガなら、NCとNL。

で、どう撮るか。まずはカメラの水平垂直。昔はレベルを当てがって調整していたが、精度面からすぐやめてしまった。で、どうするか。三脚のカメラのレンズが自分の体のどこの位置するかを確認する。そのまま部屋の向こうに行き、レンズの高さの位置を覚える。変化のない壁なんかの場合は、紙テープでマーキングしてもいい。ファインダーを覗き、向こうのチェックしたところを中心線(横線)を合わせる。さらに、ファインダーを覗きながら、柱などの垂直線と格子線の縦線が合うようにする。これがなかなかむずかしい作業。微調整のできない三脚だと、ついイライラしてしまう。

カメラはどんな高さでもいいわけではない。その場にふさわしい高さというものがある。アオリなしで撮る場合、室内なら床と天井、外観なら空と地面の比率が必然的に決まってしまう。たとえば和室では畳部分が多くなるし、外観では建物の上部が切れたりする。
印刷にしろプリントにしろ、ノートリミングということは少ない。たとえば横長のキャビネの場合、縦1に対して横が1.45という比率。67の画面(1:1.2)に比べたら、かなり細長い。プリントする場合は、天地をかなりカットすることになる。ここがポイント。トリミングを前提に撮れるので、ペンタックス67のようなリジットカメラでもそこそこ建築写真が撮れるのだ。

外観撮影では、ファインダーはアイレベルに交換。明るければ、ほとんど手持ち。やはり格子線を見ながら、カメラを水平垂直にする。この作業は、そうむずかしくはない。ただ室内と違って、建物は高い。全景を写そうとすると、どうしてもカメラを上向きにしてしまう。で、どうするか。脚立の上とか、向かいの建物の2階とか、とにかく高いところから撮る。おれの場合、1.5mの脚立を車に載せている。しかも、車はルーフキャリア付き。ルーフキャリアに脚立を立て、さらにその上に立てば、GLから5mほどの高さから撮れる。しかしだ。猫も杓子もハイアングルというのも問題。建物によっては、特に和風住宅なんかでは、ハイアングルはあまり好まれない。
どうしてもリジットでとれない場合は、ワンランク広角レンズを使って、後でトリミングする。裏技というよりは、イモ技かな。自分で言うのもなんだけど、まあひどい撮影法だ。もっと荒技は、縦位置で撮って後で横にトリミングするというもの。ここまで来ると、開いた口がふさがらないかも。ああ、はずかしい。リジットカメラではどうしても撮れない場合は、さすがにリンホフテクニカルダンなどのビューカメラを使ったが。

ずっと昔の話。モノクロのプリントの際、引き伸ばしレンズを絞り込み、印画紙を傾けて露光ということもした。とにかく苦労の連続。今はデジタル。画像処理で水平垂直を簡単に修正できてしまう。まあ楽になったものだ。


持っているペンタックス67は4台。6Vの電池を入れれば、どれもいつでも使える現役(のはず)。レンズは、35mm(魚眼)、45mm(2本)、55mm、75mm、90mm、105mm(2本)、135mm、200mm。さてさて、これから先、何回出番があるんだろうか。


 プロとアマ

建築写真は、以前はプロが撮るものだった。撮影技術がむずかしいのではなく、それ用の、アオリのできるカメラ(ビューカメラなど)でないと撮れなかったからだ。
中・大型のビューカメラは操作がむずかしい。フィルムも特殊だし、ピントを合わせるだけでも大騒ぎ。とても普通の人が扱えるシロモノではない。とくにリバーサルフィルムでの撮影は、とてもとてもトウシロウの出る幕ではなかった。たとえば蛍光灯のフィルター補正などは、頭を抱えるほどむずかしい。で、建築写真家なる人間が登場したわけだが。

これはプリントからだな。これはポジだな。これはプロだよな。これは35mmだな。これは4×5でしょ。といった具合に、以前は印刷物を見ただけでカメラやフィルムなどを推測できたものだ。ところが、今は容易にはわからない。どんなカメラで撮ったのかもわからない。アマが撮ったものかプロが撮ったものかも、わかりづらい。

今はデジタル。プロの使っているカメラもアマの使っているカメラも、ほとんど同じ。レンズもしかり。PCもしかり。ソフトもしかり。プロとアマの違いは、撮影技術だけ。とはいっても、今のカメラレンズは超高性能。その上、フォトショップなどのソフトが優秀。そこそこの写真が撮れていれば、画像処理でなんとかなってしまう。
モノクロ写真もできるし、プリントもできる。もちろん印刷にも回せる。まさにいいことずくめ。
写真屋としては、いい時代なのか。それとも悪い時代なのか。悩んでしまう。でも、後戻りはできないし、したくもない。


 二流カメラマン

通った大学は、写真とはまったく関係のない映画学科。卒業してからも、スタジオで働いたことも、だれかの助手になったこともない。だから、写真はすべて独学。というより、自己流と言ったほうが正確かな。
なもんで、世間のカメラマンがどんな機材を使って、どんな風に撮っているかを知らない。写真全般に疎いおれが、写真を生業にしていること自体はずかしいことだ。ましてや、撮り方を偉そうに云々するなんて。

で、二流カメラマンと称している。本当は三流なのだが、そこはそこ。三流じゃあんまりなんで、見栄を張って、二流ということにしているのだ。こういうことは、本来ならば謙遜して言いたいことなのだが。(汗)


年に一度くらいだが、先生と呼ばれることがある。どう呼んでいいのか迷って困った末だろうが、呼ばれるほうは笑ってしまう。おれなんか、先生なんかじゃねえよ。なにを勘違いしているんだろう。まったくにもって、大笑い。


 最初のカメラ その後

親父が勤めを休んで3週間後。長野赤十字病院に入院して2週間後のこと。夜8時ころ、たまたま親父を見舞った。入院してから2度目のことだ。これから夜遊びという前で、友人Nが病院の近くでおれを待っていた。おれは気もそぞろ。たいした話もせず、5分くらいで病室を出た。病室を出るとき、親父がこう言った。また来てな。おれは、ウンとうなづいた。

その翌朝、容体が急変。親父は死んだ。今でも鮮明に覚えている。朝の5時、長野赤十字病院から電話。おれと姉はタクシーに乗って、病院に向かった。運転手に料金を払う姉を置き去りにして、おれは薄暗い玄関に入り、だれもいない廊下を走った。病室に入ると、おふくろが泣き崩れていた。あの元気な親父がなぜ?なぜ?おれは、なにも知らされていなかった。
おれは心の中で親父に言った。家は、おれがちゃんと守る。それから、約束通り、鳥の写真も撮るから。親父が47才、おれは高2の16才のことだ。


親父の年に近づいたころ、おれは土地を探して家を建てた。そして、庭にやって来る小鳥を窓から撮った。
昔の約束を果たそうなんていう殊勝な気持はないが、親父と同じようにやはり鳥が好きなんだね。鉱物図鑑、鳥類図鑑、植物図鑑、ホ乳類図鑑等、等。小さいころ、読書は大嫌いでも、図鑑は大好きだった。だから鳥の名前なんか、小学生のときにみんな覚えてしまった。小笠原や沖縄の返還前だったので、鳥類の種類が少なかったけど。

今も、庭にやって来る小鳥を毎日眺めている。狭くてつまらない庭だが、メジロ、シジュウカラ、ヤマガラ、スズメ、ムクドリ、ウグイス、ジョウビタキ、カワラヒワ、シメ、オナガ、ハクセキレイなどが入れ替わり立ち替わり来てくれる。かわいらしい。

写真は、庭にやって来たウグイス。


 最初のカメラ

その昔わが家には、ミニスターというヤシカの距離計連動式カメラがあった。軍艦部にセレンの露出計が付いていて、小さなボッチを押すと針が動いて数字(LV値)を示す。レンズ鏡胴部にはピントリング、絞りリング、シャッターリングのほか、最前部にはLVリングが付いていた。露出計で読み取った数字をLVリングの数字に合わせる。(絞りリングとLVリングが回ったんだよな!?シャッターリングは回らなかったのかな。40年以上も前なんで、忘れてしまった。)LVを合わせた後は、シャッタースピードと絞りの組み合わせは一目瞭然。リングを一緒に回せば、どの絞りでもどのシャッタースピードでも適性露出が得られた。ピントは二重像合致式。慣れれば簡単だ。このミニスターは、高校3年のときに売ってしまった。

部員が足りず、部の存続が危うい。頼むから、名前だけでも。そう友人Nに頼まれた。友情に固く義を重んじるおれは、写真部に入った。高校2年の春のことだ。
おれは、すぐその気になるほうだ。写真部員としては、やはり一眼レフがほしかった。カメラ屋さんでカタログをもらい、毎日毎日眺めた。1969年である。ニコンFは、ボディのみで6万円か7万円していたはずだ。当時の貧乏所帯では、超贅沢品だ。
新しいカメラなんか、とんでもねえ。うちのカメラ(ミニスター)を使え!とは、親父。う〜ん、こりゃ難関だ。
で、作戦を練った。突っつくとしたら、親父の弱点。おれは鳥類図鑑を見ながら、親父が聞こえるようにつぶやいた。ああ、鳥の写真を撮りてえなあ。山に行って、マヒワとかウソと‥。う〜ん、コゲラもいいよなあ。鳥の名前をいろいろ挙げると、案の定親父は聞き耳を立てた。
そう。親父は鳥オタクだったのだ。家の中は鳥がだらけ。鳥カゴがいくつもあって、ヒガラ、ヤマガラ、マヒワとなどの小鳥をたくさん飼っていた。さらにカケスからキジ、ヤマドリなどの大型鳥まで、もう家中鳥だらけ。そんな親父である。鳥の名前にそそられたのだろう。話は関係ないけど、映画「1941」で、飛行機の名前(B16とか)を聞くと欲情する女が出てきたっけ。親父も似たようなものだった。そのうち、親父はこんなことを言い出した。お前なあ。鳥を撮るには望遠レンズが必要だぞ。

で、買ってもらったのが、ペンタックスSP。レンズはSタクマー50mmF1.8。4万円弱したと思う。とにかくめでたし、めでたし。

写真は、畑に行く少年。カメラはペンタックスSP。1970年6月撮影。

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